【Blog】泳ぐカワハギを手づかみで

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4歳になるまで、長崎県にある五島列島という島の漁師町で暮らしていました。
姉と兄の進学に併せるように島を出て、長崎市内へと引っ越しました。

がらっと環境が変わったためか、島での思い出は、30代を過ぎた今でもはっきりと覚えています。

私の一番古い記憶は、古い家の2階で戦隊ヒーローのなりきりグッズを装着して変身ごっこをしているシーン。
たぶん3歳くらい。一緒に遊んでいたのは、斜め向かいに住んでいる女の子でした。
気合を入れてヒーローを演じていたけど、その子は戦隊モノに興味がなかったらしく、すぐに違う遊びになりました。一人で遊ぶ時は、大好きなウルトラマンのビデオをセリフを覚えるほど見返したり、かんころもち用に乾燥させた薄切りの芋をおやつ代わりに食べたりしていました。


祖父は元々遠洋漁業の漁師でしたが、釣り好きが高じて漁船を買い、親戚と二人で漁師をしていました。
孫が大好きな祖父だったので、朝の漁が終わったあとは、毎日私の古い家から祖父母の家へと私をおんぶして連れて行きました。階段の手前になると私を下ろし、足腰を鍛えるためといって何十段とある階段を毎日登らされました。

そんな生活も長崎市に引っ越すと一変。
島と違って、たくさんの同年代の子どもたちがいて、幼稚園で歌を歌ったり、ボール遊びをしたり、粘土遊びをしたり…
いつの間にか、私は何十人の中の一人になりました。

家に帰っても乾燥スライスの芋はありません。
幼いながらも都会的な暮らしだなあと感じていました。百貨店もあるし、ビデオレンタルショップもあるし長崎での生活はとても楽しかったです。


それでも夏休みや冬休みに五島へ行くことが一番の楽しみでした。
小学生になってからも、祖父母と会うことも嬉しかったですが、島に帰れることがたまらなく嬉しかったのを覚えています。
ある日、五島に行った時のこと。駄菓子屋の入り口あたりに釣りセットが置かれていました。
四角い板に糸とウキと針が付いただけの小さな釣りセットですが、100円ほどで購入でき、一度家に帰って魚の切り身をもらい、海に行きました。
エサをつけ、釣り糸を垂らすとすぐに小魚たちが群がってきました。しかし、針が大きかったのかなかなか釣れてくれません。しばらく続けると、急に大きなカワハギが泳いできました。絶対に釣ってやると息を巻き、カワハギめがけて仕掛けを落とすも、エサを食べるだけで針にはかかってくれません。

どうしたら釣れるのかと思案していたら、たまたま祖父が通りかかりました。
祖父はその様子をみるや否や、私の仕掛けを使って水面にカワハギを誘き寄せ、なんと素手でカワハギを掴み取ったのです。私は見たことのない祖父のスピードにびっくりして大笑い。それでもその時の祖父が誇らしく、お昼に一緒にカワハギの味噌汁を食べました。


それから約30年が経ちました。五島の古い家を取り壊すことになったそうです。正確には、今年中には取り壊され、コンクリートの更地になるとのこと。
祖父母も亡くなり、知っている人も大分減ってしまいました。
迷路のような墓参りも、10円を持っていろんな家に行くとお菓子がもらえるお祭りも、夜市の水中花火も東京に住んでいる今ではもう二度と見れないかもしれません。

今残っているのは、あの時から大好きになった釣りとかんころもち、それからあの時の思い出だけになりました。
それだけあれば、結構残っているほうかも。

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